クラシックギターの魅力を存分に楽しめる繊細でリリカルなセルシェルの名盤

武満徹はピアノが弾きたくて、本郷の街を歩きながらその音色が聞こえてくると、弾かせてくれと頼みに行くほどピアノを愛していました。それを人づてに知った黛敏郎が無名の武満にピアノをプレゼントしたのは有名な話です。

 

でも実は武満は「生まれ変わったらギタリストになりたい」と言っていたそうです。

彼は実際にクラシックギターのための曲も作っていて『すべては薄明のなかで』等は基本的なレパートリーとして定着しています。でも正直に言うと、彼のギターのためのオリジナル曲はイマイチです。

 

それよりも私が好きなのは彼がポピュラーミュージックよりの曲をギターのために編曲した『ギターのための12の歌』です。特にビートルズのナンバーの編曲は本当に素晴らしいと思います。ビートルズがギター、ボーカル、ベース、ドラム、ヴァイオリン等を用いて表現した音楽を、クラシックギター一本で表現できるように曲のエッセンスのみを取り出す感覚はずば抜けたものがあります。ギターを知りつくした作曲家ならではの編曲の傑作と言えるでしょう。

 

またシンプルなメロディとハーモニーで美しい曲を作るビートルズのナンバーはクラシックギターの音色の豊かさと繊細さを引き出してくれるので、とても相性がいいです。クラシックギターの魅力を分かりやすく伝えてくれているので、これから聞き始めるという人にはおすすめです。

 

さて、それでは誰の演奏がいいのかということですが、武満の編曲はレパートリーとしてもうすっかり定着しているので、色々な演奏家が録音しています。福田進一村治佳織の演奏もさすがというかやっぱりというか、聞きやすくてよいのですが、印象に残るというほどではないです。

 

ビートルズのナンバーに関してはイェラン・セルシェルの『フール・オン・ザ・ヒル』が屈指の名盤です。セルシェルはもともと繊細で抒情的な表現に長けたギタリストですが、この録音では彼のなめらかで透明感のある音質とビートルズの優しいメロディの美しさが合わさって一枚を通してすばらしい出来に仕上がっています。

 

もちろん武満徹が編曲したナンバーも入っていて、それも優れた録音ですが、まずはセルシェル自身が編曲して、11弦ギターを用いて演奏した「ヒア・カムズ・ザ・サン」を視聴してもらいたいです。ビートルズのナンバーの中でもとりわけリリカルな曲がクラシックギターの儚い音色に巧みに編曲されています。終盤の低音部とメロディーの組み合わせ方は特にすてきです。

 

セルシェルはバッハなどの古典ももちろん演奏していますが、個人的にはこの『フール・オン・ザ・ヒル』や『ギター小品集』のようなアンコールナンバーに使われるような短くてメロディアスな曲の方が、彼の繊細な感性がいきていると思います。クラシックは好きだけれども、クラシックギターはあまり聞かないという方は彼の演奏を入り口にしてみてはどうでしょうか。

 

『ギターのための12の歌』

『フール・オン・ザ・ヒル』

『ギター小品集』